茨木JCとは… −社団法人茨木青年会議所とは−
茨木青年会議所の誕生
1961年6月24日、30名の青年が集まり、東大阪JCのスポンサーにより、 北摂地区で第1号、全国で206番目のロムして誕生。
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茨木青年会議所設立時の入会認承証 |

入会認承書
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茨木青年会議所設立趣意書 |
1.青年は進歩の原動力である。 |
われわれ、進取の気性と謙虚さをもって、自己の修練につとめて人間性を高め、正しい世界観を養い歴史の法則性に裏づけられた熱意ある行動力をもって、社会の進歩、発展に貢献せんとするものである。
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2.公共の福祉は、経済の発展を基礎とする。 |
われわれは、自己の従事する職業の存在意義を深く認識し、その向上発展をはかり職業を通じて正しい経済の発展と公共の福祉に寄与せんとするものである。
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3.世界平和の確保は、全人類の生存と繁栄のために必要かくべからざる事である。 |
われわれは、実践活動を通じて呼びおこされる共感と、友情の深まりを確信する。この友情は隣人、同胞さらには人類への結合を呼び、やがて世界平和の礎となるであろう。
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1960年代−モラル運動の時代 |
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1961年 初代理事長 故 樋口義明 |
| 茨木青年会議所誕生 |
・茨木青年会議所認承伝達式 |
| 東大阪JCのスポンサーにより、北摂地区で第1号、認証番号206番目のロムとして誕生。 |

茨木青年会議所認承伝達式 |
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1962年 2代理事長 故 奥下幸助 |
| 内部的充実に努力しよう |
・交通量調査
・水難防止立札奉仕 |
| JC活動の第1歩の年であり、「英知と勇気と情熱」をもって、地域社会の発展に寄与した1年であった。10年後20年後の姿をつくる重要な胎動の年であった。 |
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1963年 3代理事長 故 奥下幸助 |
| 地域社会改革の探求に努力しよう |
・水難防止運動
・交通安全並びに交通量調査協力
・児童施設に対するチャリティー運動 |
| 内外部の充実をはかり、特に内部メンバー同志の交流が深められた。他ロムとの交流・友情の交換もますます深くなってきた。 |

茨木青年会議所野球部 |
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1964年 4代理事長 藤田 平 |
| 自身と誇りを持て |
・社会改革計画
・先輩を囲む会 |
地域社会の推進力となる運動の展開の年でした。そして3信条の意味を再認識してもらい、常に自身と誇りを持った行動を推進した1年でした。 |
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1965年 5代理事長 鰐洲栄一 |
| 地域社会の推進力となろう |
・交通安全運動
・水難防止運動 |
JC運動目的達成のために内容を質的向上、発展的な指導理念に脱皮する年でした。 |

水難防止運動 |
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1966年 6代理事長 故 樋口義明 |
| JC理念に徹した活動を |
・市民憲章作制動議から公募まで
・ホームホスピタリー |
この年は大正生まれのメンバーが卒業され、一大転換期の年であった。メンバーには理念の勉強を推進した1年でもあった。 |
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1967年 7代理事長 植木 昭 |
| 明日に向かって若き力を終結しよう |
・交通問題討論会
・高槻JC認承証伝達式 |
過去に積み重ねられたJC運動の尊い実績を足場として、次のエネルギーを結集し、英知と勇気をもって目標に進む充実した年でした。 |
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1968年 8代理事長 小池 明 |
| 自ら汗して地域社会の発展に努力しよう |
・新生活運動
・交通安全運動 |
自らの行動を機に、先輩の活躍を栄養源とし、この過程を通じ、あらゆる面より理解しあえる仲間づくりに励んだ。 |

交通安全運動 |
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1969年 9代理事長 鈴木頼正 |
| JCの仲間は信じ、信じあえる友人となろう |
・大韓民国馬山JCとの姉妹締結仮調印 |
創始の精神に返り、友情を大切にしながら、地域社会への連帯感と規律ある行動を率先した1年であった。 |

例会風景 |
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| 1970年代−個別事業時代 |
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1970年 10代理事長 川崎重義 |
| 創始の原点にたちもどろう |
・大韓民国馬山JCとの姉妹締結調印
・交通安全チャリティーショー |
10年目、新たなる決意と今後の課題を議論し、明るい豊かな社会を構築するため創立10周年の準備を始めた年であった。 |

馬山JCとの姉妹締結調印 |
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1971年 11代理事長 岡崎常三郎 |
| 10周年記念式典 |
・記念講演:安達瞳子氏「私の花」
山吉 長氏「これからの教育」
・記念事業:馬山市との児童画交換
JC花壇の寄贈(茨木市)
・大韓民国馬山JC公式訪問実現 |
5月8日に茨木市民会館にて盛大な式典が行われた。 |

馬山JCと公式訪問実現 |
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1972年 12代理事長 岡崎常三郎 |
| 次の世代に多いなる遺産を残そう |
・よりよい学校教育について
・阪急立体化問題 |
失敗を恐れぬ若い世代の柔軟な思考力をもって効率のよい茨木JCを目指した1年であった。 |
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1973年 13代理事長 故 入江英秀 |
| 地域社会に対する奉仕 |
・第1回茨木フェスティバル開催 |
規制概念で判断することなく、未来に向かっての挑戦ということを全メンバーに参加意識を訴えた年。 |

第1回茨木フェスティバル |
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1974年 14代理事長 西島 巌 |
| 目的意識の涵養を |
・愛の献血運動
・キリン草撲滅運動 |
目標意識をもったJC運動の参加、実践により初めて真の理解が生まれることを伝えたときである。 |
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1975年 15代理事長 加藤秀治 |
| 来たる食料危機に備えて |
・野外集会場の建設
・摂津JC認承証伝達式 |
「あすなろ100」に未来の日本の歩み方を求め、日本の明日を語り、真に豊かな社会を築くために問題提起した1年であった。 |
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1976年 16代理事長 土方正英 |
| よりよき社会人になろう |
・交通遺児福祉基金制度誕生 |
未来のための知識を得る教育をもって、会員相互の切磋琢磨を期待し、多いに語り、行動を起こし信頼ある人間関係の育成に努めた。 |
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1977年 17代理事長 酒井将憲 |
| 人間的成長とコミュニティーリーダーをめざして |
・社団法人格を取得
・初の公開例会
・茨木青年会議所シニアクラブ設立 |
社団法人格を取得するにあたって、規律ある思いやりの奉仕活動を実践した。 |

社団法人格を取得 |
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1978年 18代理事長 前田 勝 |
| メンバー間のコミュニケーションを大切に |
・パラリンピック
・海のむこうと児童画表彰 |
不況の時代に自分の企業とJC活動の両立に力点をおいた1年であった。 |
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1979年 19代理事長 寺岡 正 |
| 一人ひとりの個性豊かな心を生み育てよう |
・市長対談”教育を語る!”
・紺綬褒賞を受賞
・大韓民国馬山青年会議所公式訪問 |
一人ひとりの個性豊かな心を育むために「教育」「文化」に重点をおいた事業展開をされた。 |
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| 1980年代−まちづくりソフトの時代 |
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1980年 20代理事長 辰見博義 |
| 友情と資質の向上を |
・全国会員大会において優秀国際交流推進賞受賞
・近畿地区会員大会において優秀社会開発推進賞受賞 |
内部の充実した事業の選択に着目し、馬山JCとの姉妹締結10周年記念式典を開催した。 |
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1981年 21代理事長 大森祥吾 |
| 20周年記念式典及び記念コンサート |
・記念事業:「市民意識調査」
・記念事業:「記念式典・記念コンサート」
菅原洋一氏・阿川康子氏・世良譲氏が出演 |
創立20周年を迎え、茨木JCがまちづくりに積極的に活動を開始した1年であった。 |

創立20周年記念式典 |
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1982年 22代理事長 若林三雄 |
| 力を合わせ苦難を乗り越え、 さらに飛躍しよう |
・大韓民国馬山JCとの共同声明調印発表
・米国ミネアポリスJCとの姉妹締結調印
・第1回市民会議
・経営道場(第1回〜第3回) |
会員の活性化、資質の向上、効率のよいJCを目指し、国際的な視野を広げた1年であった。 |
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1983年 23代理事長 野田征夫 |
| 国づくりは、人づくりから |
・葉書絵画イラストコンクール
・市民会議
・茨木市の団体表彰
・家庭教育アンケート |
国づくりは人づくりからと、会員資質の向上に力をいれ、時代に対応したJC運動の展開を目標とした。 |
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1984年 24代理事長 合田順一 |
| 活力ある「和」を目指して |
・LOMメンバーの活性化
・韓国馬山青年会議所が全国大会を主管
・劇団「四季」を招茨
・日本JCより「優秀賞」褒賞 |
次代を担うメンバーの育成と新入会員の拡大・指導に重点をおいた1年であった。 |
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1985年 25代理事長 久保義誓 |
Refresh'85 高めよう Membership
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・「明日のフェスティバルを考える会」
・大韓民国馬山JCと姉妹締結15周年
・健康研修(第1回〜第4回) |
いばらきフェスティバルを市民参加型事業として発信したときであり、「みんなでつくろうみんなのまつり」が広がった年であった。 |

茨木・馬山姉妹交流15周年記念
高校親善テニス大会 |
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1986年 26代理事長 城谷 星 |
| 「Jump to 21創り出そう!ハートする街 茨木」 |
・スライド「すきやねん茨木」作成
・道路愛称募集
・ヒューマンスペース(みち空間)デザインコンテスト
・劇団「四季」公演 |
創立25周年の年であり、茨木のアイデンティティの発掘と郷土愛を目的とした事業を展開した。 |
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1987年 27代理事長 寺田克巳 |
| 「知ろうわがまち ひろげよう茨木のまちづくり」 |
・「Be助っ人」の結成
・「VIBA茨木ふるさとみつけた」応募選定
・「すきやねん茨木」 英語版、韓国版の製作
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継続事業についてCD5サイクルを進め熱き議論の中、事業を展開した1年。 |
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1988年 28代理事長 木本誠一 |
| 「おもいっきり 夢 いばらき」 |
・「いばらき童子」シンボルキャラクター募集、選定
・「ボールが見つけたふるさと」製作
(子供向けビデオ)
・茨木てくてくラリー開催
・財政問題答申書「JCよ永遠なれ」発刊
・創立30周年答申書「PLUS計画」発刊 |
まちづくりのできるひとづくりの人材発掘を通して、まちを愛し、夢を発信する事業を展開した。 |

シンボルキャラクター「いばらき童子」 |
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1989年 29代理事長 栗尾尚孝 |
| 「愛し誇ろうIBARAKI」 |
・「まちづくり人間」「まちづくり人間協賛店」募集
・「まちづくり人間協賛店」イラストマップ作成
・「いばらき童子」(絵本)書き換え
・ビジョン報告書「ローズプラン21」発刊 |
人材の発掘と蓄積、そして輪の広がりに重点をおいた事業が展開された1年であった。 |

「まちづくり人間」「まちづくり人間協賛店」募集 |
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| 1990年代−まちづくり運動の時代 |
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1990年 30代理事長 森本眞二 |
| 「心から心へひろげよう”まち”のゆめ」 |
・大韓民国馬山JCと姉妹締結20周年記念式典
・人形劇「いばらき童子」の開催
・提言書「夢会議’96『おもいっきり夢・いばらき会議』をめざして発刊」
・企画書「30周年企画書」 |
創立30周年の前年として、まちづくり事業の継続的発展を目指し、周年に向けての準備を企画した。 |
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1991年 31代理事長 今井清秀 |
| ドラマチック茨木 今、まちは夢物語 |
・提言書「まちは遊園地」
・30周年記念式典開催
・「劇団いばらき童子」設立
・大韓民国馬山JC姉妹締結書き換え調印 |
茨木青年会議所創立30周年という年にまちづくり運動を推進してゆく上で外へ向かってアピールするとともに、内にたいしては内部充実を図る大きな機会と捉えて、この1年間を活動していった。 |

韓・日高校親善テニス大会

「劇団いばらき童子」設立 |
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1992年 32代理事長 堀 典之 |
| あなたと語ろう
まちの夢・おもいっきり夢・いばらき会議をめざして |
・「まちづくり懇談会」開催
・'96夢会議の運営会議を「茨木未来倶楽部」と名付けて組織化
・各地のまちづくりの実例を調査
・ドリームパーティー
・広報誌「若い芽」の充実・発展 |
'96年の夢会議に向けて、夢語り人の発掘と募集を重点テーマとし、加えて、この運営システムの中枢を担う「運営会議」を発足させることを重点課題として取り組んだ1年であった。 |

広報誌「若い芽」 |
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1993年 33代理事長 末吉和彦 |
| まちのドラマは みんなが主役 |
・茨木相撲連盟が発足
茨木ちびっ子相撲クラブ発足
・夢部会の設置を目指す
・茨木市制施行45周年・茨木商工会議所45周年記念事業への参加協力
・茨木青年会議所創立以来初の大阪ブロック協議会会長に今井清秀君が就任 |
茨木青年会議所創始のスピリットを抱き続けながら、まちづくりセンスを磨き、人づくりに気を配ることで、'96夢会議を目指した1年でした。 |

第17回茨木ちびっこ相撲大会 |
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1994年 34代理事長 土方慶之 |
| 明るく元気に飛び出せ
JAYCEE 一人一人が 夢発信人 |
・第1回ヤングイベントの開催
・広報誌「若い芽」のタウン誌化
・夢部会の拡大
・環境教室の開催
・使用済テレホンカードの回収
・茨木JC初の海外ミッション |
夢会議の推進と、環境問題・国際問題・国際協力に対する取り組みを2本柱に事業を企画し、発展継承させた1年でした。 |

広報誌「若い芽」のタウン誌化 |
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1995年 35代理事長 西岡一也 |
育もう地球市民
守ろう地球(ふるさと)のいのち、思いやる心で行動を
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・阪神・淡路大震災緊急支援活動
・大韓民国馬山JC姉妹締結25周年
・第1回茨木市民博覧会を開催
・35周年記念事業企画書の発刊
・大阪で全国大会開かれる(堺JC主管) |
1月17日未明の大震災の発生に伴い、LOMの通常事業を一時停止し、翌日から緊急支援活動を開始しました。その災害支援活動を最優先としながら、我々が目指す「夢会議システム」の構築を目的とした各事業を展開するという激動の1年でした。 |

韓国馬山JC姉妹締結25周年
第1回茨木市民博覧会を開催
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1996年 36代理事長 川城勝良 |
| 35th Anniversary
思いやるこころ・やさしさそしてひろがりへ
地球市民の行動を! |
・記念事業第1回おもいっきり夢いばらきフォーラムの開催
・記念事業わんぱく地球市民ジュニア塾inフィリピンの開催
・35周年記念誌「Step up 2001」の発刊
・特別会員名簿「温故知新」の発刊
・大韓民国馬山JC姉妹締結25周年のあゆみの発刊 |
創立35周年を迎え「地球市民としての行動」「人と人との素敵なつながり」を運動の柱にすべてのものに対する思いやり、やさしさを育み「こころ」を伝える運動を展開した1年でした。 |

35周年記念誌・馬山JC締結のあゆみ・特別会員名簿

記念事業わんぱく地球市民ジュニアinフィリピン

第24回茨木フェスティバル |
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1997年 37代理事長 岩川信治 |
| 豊かなこころが人・まちをつくり
21世紀のふるさと茨木をつくる
−人と人との素敵なつながりのある茨木の創造− |
・わんぱく相撲茨木大会の開催
・なみはや国体のサポート・ふれ愛ぴっく大阪
後夜祭の参画
・ホームページの立ち上げ
・「自己改革のまとめ」報告書作成
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会員資質の向上を第一として、茨木JC自己改革特別委員会を設置し、メンバー一人ひとりが自己を見詰めなおし、個人として、組織人として考え行動した1年であった。 |
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1998年 38代理事長 大西一寿 |
| 語ろうまちの未来を!!
動こう次代のために
−行動・信頼・創造− |
・わんぱく相撲茨木大会の開催
・青年会議所組織の考察と茨木JC組織の改良点の検討
・1998年度組織改革答申書「茨木JCハンドブック」の作成
・パソコンセミナー
・第2回おもいっきり夢いばらきフォーラムの開催
・第2回地球市民わんぱく塾の開催
・第1回元気!いばらき!おどりんピックの実施 |
JC運動の原点に立ち返り、自己を見つめなおし茨木青年会議所の存在理由を再確認し、JCが担う役割として、自己の確立、そしてコミュニティリーダーとしての行動が必要不可欠であると言う事を確認した1年でした。 |

第2回地球市民わんぱく塾の開催 |
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1999年 39代理事長 西島貞夫 |
| まちの夢と希望と感動を
こころにやさしさとおもいやりを |
・第2回元気・いばらき・おどりんピックの実施
・報告書2000年代運動指針のシナリオ「夢いっぱい・夢いっぱいの市民が共に動き、活気溢れるまち」の発刊
・わんぱく相撲茨木大会の開催
・第3回地球市民わんぱく塾の開催 |
「人と人との素敵なつながり」を目指し各種団体とのネットワークの構築、ふるさと意識、地球市民意識の高揚を図った1年でした。また2000年代の茨木JC運動のシナリオを検討するため、議論がはじまった時であった。 |

第3回地球市民わんぱく塾の開催 |
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| 2000年代 |
| 2000年 40代理事長 山本良平 |
| 新世紀に向かって
「本質」を見極めるJaycee
「自立」「連携」「共動」の茨木(まち)の創造 |
・2000年代運動指針「したまちっく茨木−21世紀の原点は人間力」の策定・発刊
・40周年記念事業の企画書「輝かしい新世紀への出発」発刊
・第1回子ども”わいわい”フェスタへの参画
・ねんりんピック2000大阪への参画
・第4回地球市民わんぱく塾の開催
・第2回日韓スポーツ交流の開催
・青年経済人としてのMIA研修の実践
・大韓民国馬山青年会議所締結30周年
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メンバー一人ひとりが、JC活動の「本質」を見極める1年でした、40周年の準備に本格的に入ったときでもあり、JC運動の検証、10年間の運動指針を検討し、導きだされた答えは人間力開発と社会開発の2本の柱を掲げ「自立」「連携」「共育」のキーワードを提案した年だった。 |

第2回日韓スポーツ交流 
第4回地球市民わんぱく塾 
第49回全国大会 |
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| 2001年 41代理事長 西川 明 |
| 40th
Anniversary ”輝かしい新世紀への出発” |
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| 2002年 42代理事長 水田吉浩 |
| 高めよう「Jaycee力」、
広げよう「したまちっく茨木」 |
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| 2003年 43代理事長 呉羽貴志 |
| 夢に向かって!ここらで一発ナイスショット |
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| 2004年 44代理事長 矢野和弥 |
Action!「魅力ある茨木(ひと・まち)」の創造へ |
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| 2005年 45代理事長 小川愛一郎 |
楽しいやん!おもろいやん!100人やったらもっとええやん!!
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